①はじめに
ここ遠州浜の家の前は東西にのびる海岸防災林で、五月頃、ニセアカシアの白い花が満開になります。昭和の初め、何もない海岸砂丘に松の木を植えて農地開拓したといいます。その田畑を造成して住宅地ができたのが昭和四十年代。その後、虫の害で松が枯れ、間に植えた木が栄えてきているわけです。これもまた、気候風土に合った雑木林に移り変わりつつある。この場所に宅地を定めたのは、庭から見えるこの木々の様子が決めてだったと思います。
海岸に住むことにしたというと大抵、津波は大丈夫かと聞かれますが、防潮堤工事も仕上げの植樹をしている最中で、我が家まで水はやってこない想定です。あまり気にしてはいませんね。
②遠州浜の小さな平屋
借家暮らしを切り上げ、犬猫を家族に迎えられるような家を探し始めたのがおととしの春の頃です。家探しは市内、天竜川の平野のどこかということでした。思い切って遠方に移るのもひとつの方法でしたが、障碍のある長男が南区の施設に通っている。夫婦それぞれの母親の暮らす家、お寺からもあまり離れたくない。長女も友達を家に呼びたい。私も還暦間近、夫婦そろって足腰が弱ってくるでしょうから山道・坂道の暮らしは先々きつくなる。そう考えたのでした。
半年、マンションや戸建てをあれこれ検討しましたが、中心部に近いと駐車場が不足でアクセス道路が狭い。また、売りに出ている一戸建ては大抵、二階建てなんですね。土地が平らでも家の中が階段では負担になるし、駐車スペースが取れるくらいで小さな平屋がよいなぁ、と探しておととしの暮れ、この遠州浜の場所を見つけました。
③木の家、木の床の記憶
ここは以前、遠州浜団地ができた当時(今から40~50年前)の平屋住宅が建っていました。これを手直しして使おうと希望を出し合い、ある工務店に見積りを依頼。え、こんなにかかるの?と仰天したのが正直なところです。そこから延々と削って、本当に必要なものは何か考える作業が続いた。その途中、「木の家」とネット検索して入政建築さんを見つけ、昨年春、この平屋住宅を見て話を聞いてもらうことになりました。
ある工務店で出された案は合板フローリングにビニールクロスの壁でした。私の記憶に木造校舎や実家の昔の床がよい気持ちだったことがありました。素足で暮らせるような木の床を「必要なもの」に組み込めるだろうかと思い、入政建築さんの浜北区のモデルハウスSukuraを見学して、おぉ、この床だ!と思ったのでした。
④リフォームから新築へ(計画変更)
入政建築さんとリフォーム案を何回か打ち合わせ、資金計画を進めていた夏、同じ規模で建替えてはどうかと提案されました。
いいでしょう、新築にしましょう。割と即答したと思います。
実のところ、浜の家を手に入れ、中を探索してみると床下は土がむき出しで湿気が強い。基礎・土台をきちんとさせなければ、壁や天井を飾ってもだめだろうと思っていました。それで庭に植えられたモチノキを残し、緑の屋根の色を受け継いで、しっかりとした基礎の新築をお願いすることにしました。
⑤現状の問題を解決し、近い将来に備える家を
描いてもらったリフォーム案、それを組み替えた新築の案は水廻りを集中させ、中央に共有の空間を置き、そこから各個室に散らばりまた集まる、というものでした。
今現在、暮らしている築四十年の借家。新築当時は普通の造りだったのでしょうが、なにしろ、「断熱」というものがありませんから、家の中は季節感いっぱいです。私の一人暮らしなら竪穴住居でもかまいませんが(すきま風を防げば案外、快適です)、家族で暮らすなら夏冬をうまくしのぎたい。
また、大人四人が生活していると、炊事・食事・風呂・洗濯、廊下のあたりでいつも渋滞が起きてしまいます。これを解消しましょう。家事動線をすっきりさせたいということでもありますね。流し台や風呂・トイレ、水廻りを整える。足腰対策で畳からベッド生活に切り替える。さらに、玄関から個室に直行できるような間取りだと居るのか居ないのか分からなくなってしまうから、それも解決したい。そんな希望に叶う浜の家が段々、形になってきています。
外観は銀色で、家の者が言うにはキーンと飛び立ちそう!ということですが、中に入ると一面の木目。現代の工法・素材ではこうなるのかと面白く見ています。
⑥最後に
工事のほうはお任せして、我が家のほうでは段々、引越しの準備に入ろうとしています。見回すと、広くはない今の住まいでもよくまぁ、いろいろなものが置いてある。暮らしぶりが刻々変わっていく中で、家の形、大きさに合わせてものはたまっていってしまうのでしょうから、不要な家財は思い切りよく処分する、いい機会です。
新宅は単純な形にしたおかげで、考えていた以上に庭が広くなりました。花壇を仕立てたり、小さな菜園から始めてみましょうか。ゆっくり時間をかけていきたいと思っています。