いりまさの森の廻りに、配置されているジャカゴにテイカズラが生えてきた。
実家の竹やぶから、もってきた在来種。
苦節4年。。。
草を刈ってたら、一緒にかっちゃったりして、、、
なかなか繁殖できずにいましたが。
これで、ミドリの小さな壁ができます。生い茂るには、まだまだ時間がかかりますが、地道にこつこつと増やします。
*石の間に、這ってる植物が、テイカズラです。
暮らしをつくろう。大切な人との時間を豊かに。
4代目の新野恵一(にいのけいいち)です。
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「庭のかたちが生まれるとき」という本が面白い!とKatalystの佐塚さんから、推薦を受けたので読んでみました。
作庭現場のフィールドワークを通して庭を楽しむ新感覚の本です。
ぼくも、社会に入って間もなく、庭屋さんの職人として、せっせと働いていたので、
庭師のスタイルは、身をもって体験しています。
「わかる!わかる!」とうなずきながら、読んだ本でした。
石はなにもないところに突如として置かれるのではな。つまり作庭行為は決して「無からの創造」ではない。ー
この意味では古川が石に拘泥せずに、偶然やってきた「ありあわせの素材」によって庭をつくるのも、たんに即興的自由を求めているわけではないことがわかる。それは無限にも思える素材選びと布石の選択肢を与件の偶然性によって圧縮し、「来た石を見て判断」することへと変換する制約の創造なのだ。
*古川→庭師
「庭のかたちが生まれるとき」P74
庭師は、設計図から、庭をつくるわけではありません。
そのとき、その場で、材料を見ながら現場で試行錯誤を重ね、作庭していきます。
(庭の素材は、建築材料のように、均一な素材ではないので、そもそも図面化できない)
それを、言語化できてる庭師は、それほどいないように感じます。
素人にはわからない、プロの経験からくる庭師独自の作庭所作にてつくっていく。
非常にわかりにくく、魅力的な世界が広がっています。
その世界を翻訳してくれている本。
庭を見て、この石は、なぜここに据えられたのか?
この植物は、なぜここに植えられたのか?
そんな視点で、庭を見る楽しさも教えてくれます。
僕よりも、こちらの書評のほうが魅力的なのでご紹介します。
本書は庭師であり美学研究者でもある山内朋樹が、 京都福知山の観音寺を訪ね、その大聖院庭園作庭工事のフィールドワークをもとに、庭のつくられ方を記録した「令和・作庭記」である。 庭について、石組について、植栽について、空間について、流れについて、部分と全体について…… 制作のプロセスを徹底的に観察するとともに、その造形(かたち・構造)の論理を分析し、「制作されるもの」と「制作するもの」の間に起きていることを思考する。ミクロの視点で時間軸を引き伸ばしながら、かたちが生まれるその瞬間を丹念に解読していく、他に類を見ない新しい「制作論」。
https://title-books.stores.jp/items/64f19c70393dc3005defdc2e
そうか。制作論だったかぁ。
その視点でみると、
この作庭行為は、家づくりでいうと、ファーストプランを手書きで製作するのと、似ています。
ファーストプランを作成するときは、試行錯誤の連続。
敷地の与条件から、どのようにプランするのか。
今まで見聞きした、体験、経験から、一つのプランを試行錯誤しながら作り上げていきます。当たり前ですが、設計図なんてありません。
ぐりぐりぐりぐり、書いて試行錯誤。
いろんな可能性を探ります。
だんだんと、なんとなく、敷地が理解できてきます。
今までの「経験」や、「そうあるべきという確信」なんかが、
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃしています。その試行錯誤を繰り替えす。
そして、ある制約を見つけ、その制約の中で、シンプルになるまで考える。
シンプルになったものを、ご提案します。
(*シンプルなものほど、追加の要望に耐えれる案になります。)
完成。
何事もなかったかのように、シンプル&丁寧に。
自分なりの、このプラン作成方法は、作庭作業に似てたんですね!
素材をみて、現場で試行錯誤して考える→庭
敷地をみて、今までの経験と価値観から、紙の上で何度も、試行錯誤して考える→家
庭でも、家でもつくる過程(制作論)は、変わりません。
社会にでて、庭屋さんで習ったことが、今のプラン作成の礎になっているとは・・・。
ということで、面白い本です。
ご興味ある方は、是非お読みください!
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