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4代目 なぜ、継ごうとしたのか。入政建築 歴史編

2022.09.01

こんにちは。入政建築4代目の新野恵一です。

これから、少しずつブログの更新をはじめます。

普段ブログは、広報の鈴木に任せっぱなしでしたが、改心しました!!

ある工務店社長のブログに、「プライベートにづかづか踏み込む仕事だから、自分をまずさらけだすことが大事」だということが書いてあって、、、

「その通りだなぁ」とつくづく思いました。

自分をさらけだすこと。

普段思っていること。

設計のこと。

素材のこと。

社内で話すような内容も、惜しみなく発信していきます~

よろしくお願いします!

最初は、なぜ継ごうと決心したのか。

「家業だから、戻ってきました!」

って簡単な感じでないので、このあたりを、丁寧に?ご説明したいと思います。(家業を継いでいる人は、みんなそれぞれアツい想いがあるんですよね。)

継ぐなんて一切考えていなかった幼少期

歴史-

1代目の國五郎(くにごろう)が、大工を業としてはじめたのが、大正13年あたりだと推測されています。

当然、周りの家は、ほとんど「うち」が建っていました。裏山から木を伐りだして、家(加工場)で加工して、人力で建つ。

嘘みたいな話ですが、マジな話です。

弟子も10人弱くらいかかえ、やっていたのです。しかも、家に寝泊まりしながら。。。

今でも、河合さん(大工)は、現役で働いています。。河合さんは、15歳から下宿生活。

週に1回の休みも、親方との暮らし。考えられますか!?

嫌でにげだしたくなりますよね。。

そのおかげで、弟子が7人くらい独立をはたしています。今もこの方法でやったら、相当鍛えられそうだな。

いや、親方も嫌がるよね。

大久保町(地元)の屋台をつくる話も楽しいです。

「屋台をつくる」っていっても、人がいません。大久保町の若者が家に集まり、みんなでつくったそう。

賄いをつくって、手伝いの若者に提供していた模様。

今では考えられないことの連続。

2代目の政治(まさじ)になり、屋号をつけました。

政治(まさじ)に仕事が入る→入政と命名!

入政建築として新たにスタートを切りました。それまでどんな名前でやっていたか知りません。誰か教えてほしい。。。

3代目、達治も大工の修行をしてから、浜松の工務店(マルモ中村住宅)に入社。現場監督として働きます。

*無断掲載 笑 おそらく、三代目が20前後の証明写真。わかすぎる!

そこの会社で、母と出会い結婚になるのでした。

そして、家に戻り、会社を設立します。「有限会社入政建築」のはじまり。

2代目でできた、負債を抱えながらのスタート。不安いっぱいのスタート。

この時、僕は、3~4歳。

そんな背景があるので、近所に出かけると、大工さまの孫?といわれていました。

僕が幼いころは、2代目はまだ現役。作業小屋(今の事務所がある場所)に遊びに出かけていた記憶がかすかにあります。

その頃の大工さんのイメージは、あまりよくなく。。

木くずで、埃まみれだし。口は悪いし。人使いは荒いし。(孫たちには優しい。)

大工にはなりたくない。

漠然とそんなことは思っていたのでした。

次回に続く。

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